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俺とゴジラ

2018年2月9日

第六回 監督 大河原孝夫氏(後編)

――続く2作目の監督作が『ゴジラVSモスラ』(92年)ですが、2本目でゴジラ映画を監督するとは思わなかったですよね。

大河原 それはもちろん! 撮影所の制作宣伝室の窓に生ョ(範義)さんが描いたゴジラ映画の新作ポスターが毎回のように貼ってあって、次回も大森さんがやるんだろうなあと思っていたら、何と自分に依頼が来ました…。

――そのご依頼はどなたから?

大河原 これは富山プロデューサーからのお話で、聞いた瞬間、「ええっ!?」っと思ったよ。

――東宝生え抜きの監督にやってもらおうとの事だったのでしょうか?

大河原 そういうポリシーがあったみたいですね。
でも、公開初日の祝賀パーティで、昨年比が1000%でもの凄い動員だって発表されたら、大森さんが「やっぱり、自分がやっときゃ良かった」ってボソッと言ってたな(苦笑)。

――ゴジラ映画を担当されるに当たっての心構えはいかがでしたか?

大河原 子供の頃にゴジラやモスラの映画は観ていましたけど、ゴジラ映画だからとの思い入れやプレッシャーは無かったですね。
何より僕は、シナリオさえ面白ければとのスタンスなんですよ。
ある程度、これまでの伝統を踏まえて、新たな事が出来ればいいなと思ってましたね。

――主人公の夫婦の設定が庶民的な部分が良いですね

大河原 牢獄での夫婦の会話でお金の支払いが滞っているとか、吊り橋のシーンでの体重が増えてるといった部分は、面白がって自分のアイデアを入れたところですね。

――小林聡美さんの起用は、監督の要望だったそうですね。

大河原 ええ、この案には富山さんも直ぐにノッてくれて。
小林(聡美)さんに撮影所のサロンで初めて会って話したら、「モスラの幼虫の中に入るのかと思っていました」って冗談で言われてね(笑)。
さばけた方でしたね。

――冒頭では、『インディ・ジョーンズ』(81年〜)シリーズを髣髴とさせるアクションシーンもありましたね。

大河原 ああいうところが大森さんのサービス精神旺盛なところだね。
大森さんのホンだと、主人公が長いストロークをまっすぐ走ってみたいなことになってたんですが、それだとセットでの撮影が辛いんで、高低差のあるセットに変えて処理しました。

――小美人ことコスモスの演出も大変だったと思われます。

大河原 巨大セットの質感を出すのに美術が苦労していたね。
それと当時は、コンピューターグラフィックもデジタル合成もありませんでしたから、マニュアルで、勘でこんなもんだろうと(笑)。
思い起こすと、現在では考えられない様な撮影をしていたね。
それと川北さんから、このカットは「コスモスに影を付けたらよりリアルになるよ」ってアドバイスを受けたりしました。

――コスモスを演じられたお二人は、言葉を合わせて話すのにご苦労したんじゃないでしょうか?

大河原 いや、演出部に任せた部分もあったかもしれないんだけど、そんなに大変ではなかったかな。
それよりも歌のプレイバックをしなきゃいけないんで、何の曲を使うかっていうのを最初に考えた記憶があるなあ。
シナリオをもらって、すぐかな。
作曲家の伊福部(昭)さんや古関(裕而)さんに了解を取らないといけなかったからね。

――他に大変だった撮影はございましたか?

大河原 奄美大島に向かう、「ありあけ丸」の船上での撮影も大変だったな。
70カットくらい撮ったかもしれないなあ、よくやれたなっていう感じだね。
奄美大島の港に船が到着しちゃうと、もちろん撮影も終わりで、下船してくださいとなっちゃうからね。

――『日本沈没』をはるかに凌ぐ、超特大ヒットの作品になったということで、聞くところによりますと、本社の机や椅子が全部新品になったとか、そんな噂話も聞いてますけれども…監督に金一封は?

大河原 いや、金一封は出なかったですよ。
でも、興行サイドの館主の皆さんによって、表彰されたりはしましたね。

――映画興行主さんのお話が出ましたが、製作中に作品のダイジェストを見せたそうですね。

大河原 あれは撮影に入ってしばらくしてだったかな。
興行主さんらが撮影所に見学に来るというんで、その時点までの素材を使ってモスラの歌を使ったショートフィルムを作ったんだね。
興行主さんらは、たいへん喜ばれた様でね。
まあ、この作品は正月映画だから、開幕投手みたいなもんでね。
だから、右も左も分からない新人監督に担当させて良いのかという反対の声もあったと思うんですよ。
だって『超少女REIKO』しかやってなくて、それも数字的には良く無かったのでね。

――そういう声もあったんですね。

大河原 そこを多分、富山プロデューサーとかが、影で調整してくれたのかなと。
とはいえ、大森さんのホンが、「ここは良いな」というところが多く、きっとお客さんも楽しめる作品になるだろうなと思っていました。

――ゴジラ映画に久々のモスラの復活というのは、やっぱりファミリー層をゴジラ映画に呼び込むにはまさにうってつけだったんですね。

大河原 そういう意味では、企画の勝利でもありますね。
モスラの登場はそれこそ、随分久しぶりでしたから。
シナリオも森林破壊とか環境問題も多少含めてね。
どんな映画もそうなんだろうけど、あんまり出来が酷いと「もう見るもんか」みたいに思われるのが、一番怖いわけでね。
「次もまた見てやろうかな」という、最低でもそのぐらいには思ってもらわないと。
作る側の責任ですね。

――引き続いて、ゴジラ映画の第20作『ゴジラVSメカゴジラ』(93年)ですね。

大河原 自分が参加する時点では、検討稿は出来ていましたね。
脚本担当の三村(渉)さんは富山さんの起用だね。
前回、主人公たちが、ラストのバトルをビルの屋上から見ているだけで終わってしまったのは、映画的な枷がありましたから。
今回はメカゴジラに搭乗して戦うので、そこらへんの変化は出せるかなっていう気はしましたね。

――『七人の侍』(54年)の様に、Gフォースの隊員が一人一人集まって来るという風にしたかったそうですね。

大河原 そうするといかんせん長くなっちゃうんでね。
それでなくても三村君のシナリオが長かったので、だいぶ切ったねえ。
キャサリンと曽根崎の搭乗員同士のほのかな恋とかあったけど、尺に納まらないから。
川北さんも、ラスト間近かでゴジラにパンアップするシーンにこだわってて、そのシーンが25秒位あったんだけど、最後には英断で切ってくれたりしたね。

――キャストも多彩でしたね。

大河原 原田大二郎さんや宮川一郎太君なんかは、本人たちがノッて演じてくれましたね。
中尾彬さんは「ゴジラと戦っているおじさんって近所で言われるんだよ(笑)」って言ってたし。
俳優さん達が面白がってやってくれているという事が、作品に少しでも良い方向に表れてくれれば、画面がイキイキしますよね。
高嶋(政宏)君に関しては編集ラッシュの後、本社から「こんなキャラだとは思わなかった」みたいな事を言われて。
でも自分は最初から、二枚目で優等生というよりも、あの方がよっぽど面白いと思いましたから。

――本編班はベビーゴジラの撮影が大変だったそうですね。

大河原 ベビーゴジラには参ったねえ(笑)。
てっきり川北さんの特撮班でやると思っていて。
でも「本編班でやって欲しい」と頼まれて。
一つ間違えると噴飯ものになってしまうので、ベビーゴジラの生物感や存在感、そこには一番気を付けましたね。
佐野量子ちゃんが「カワイイ、カワイイ」って常に言ってたけど、けっこう自分に暗示をかけてたんじゃないのかな(笑)。
最初、スーツが出来た時に破李拳竜君が中に入って、スタジオ内で歩き方の練習を何回かやったんだけれども、川北さんも参加して直接指導をしてくれました。

――翼竜ロボットの飛行シーンも本編で、実際に二人が乗って吊ってるんですよね。

大河原 そうだね。
あれは、ワイヤーで吊って、ハイビジョン合成もあったな。

――特技監督の川北さんとのコンビネーションはいかがだったですか。

大河原 う〜ん、可能な限りうまくやっていこうと思っていたんだけどね。
編集の段階で特撮シーンをカットしたら、次の日に元に戻っていたりして(笑)。
それから川北さんは、何故だかオールラッシュを見ない人だと聞いていたね。

――『VSメカゴジラ』は、当初この後にアメリカ版のゴジラ映画が作られるという事で、最終作になる予定でしたね。

大河原 当初はそういう話も聞いていたけれども、結局はアメリカ版の製作が遅れる事になって、シリーズはまだ続いたわけだね。

――続いて『ヤマトタケル』(94年)を手掛けるわけですけれど、これは東宝がゴジラ映画以外で、特撮物の新たな可能性を追求した意欲作でした。

大河原 東宝映画では、社員監督で作品を担当出来るのが3本までで、それ以降は独り立ちというシステムなんです。
でも、『ヤマトタケル』は社員監督で担当した気がするなあ。
この作品は富山さんが中心で、かなり長い間寝かせていた企画だった様です。
かつては東宝も、ゴジラをはじめとする怪獣映画路線と、それとは別に『マタンゴ』(63年)みたいな異色な路線もやっていたわけで…。
高嶋君が『ゴジラVSメカゴジラ』に引き続いての主役で、ヒロインには沢口靖子さん。
敵役の阿部寛さんも面白がって演じてくれました。

――この作品では、キャラクターの変身や形が変わるシーンで、デジタル合成を初めて本格的に使った作品になりましたね。

大河原 そうそう。
パーティクルやモーフィングの最新技術も、当時は高額だったみたいだけれども、是非とも使わせてもらおうって事でね。
劇中の随所で使用していますよ。

――『ヤマトタケル』を大河原監督が担当したことで、次作の『ゴジラVSスペースゴジラ』(94年)は、山下賢章さんが監督を担当されました。

大河原 柄本(明)さんのキャラの印象が強かった作品でしたね。
ただ、イメージ的にスペースゴジラの設定がちょっと辛かったですね。
うまい形でオリジナルの新怪獣が生み出せれば、見る側にも新鮮だし、オリジナリティも出るけれども…。
ゴジラ対ゴジラだと、どうしても似たもの同士の戦い的なイメージに捉えられちゃって、ちょっと損をしている部分があったかもしれないという印象ですね。

――続く『ゴジラVSデストロイア』(95年)についてお聞きします。この作品はVSシリーズの最終作となりました。

大河原 『ゴジラVSメカゴジラ』の頃から、これで一区切りにしようとの噂はありましたから、そこは営業を含めての判断だったんではないでしょうか。
ゴジラの壮絶でレクイエム的な最後の舞台を提供できればという事ですね。
第一作と本作とのつながりの中で、山根恵美子こと河内桃子さんにも出演して頂き、新怪獣デストロイアはゴジラを抹殺したオキシジェン・デストロイヤーの影響によって誕生したという、そういうところで最終作に相応しい舞台が用意出来たかなとの思いですね。

――当初は『ゴジラVSゴーストゴジラ』の企画もあったそうですね。

大河原 そうそう、ありましたね。
1作目のゴジラの残存エネルギーが東京湾内に残っててみたいな感じで、これは富山さんのアイデアでしたね。
でも前作に続いて、またゴジラ対ゴジラになっちゃうのは、タイミング的に辛いというような事もあったんじゃないんですかね。
ただ、映像を作るのは大変でしょうけれども、スケルトンのゴジラはちょっと見てみたかったですね。

――本編班はコスモス、ベビーゴジラに続いて、デストロイアを演出されました。

大河原 お台場の空き地にプレハブを建てて建築現場みたいにして、報道陣が脚立を並べて取材しているところにデストロイアの幼体が登場するという。
何と、その撮影のその日に幼体が仕上がってきたからね。
だから、稼働部のチェックすらも済んでなくて、最初はスタッフの皆で動かしたらタコ踊りみたいになっちゃって。
とても生物には思えないっていう感じでね…(苦笑)。
とはいえ、操演の鳴海ちゃんが指導してくれて、なんとか撮影にこぎつけました。

――ビル内の戦いは、『エイリアン2』(86年)を意識されてるのかなと。

大河原 あれはそうだった? 特殊部隊対幼体のシーンは、お客さんに見てもらうための見せ場の一つではあったね。
それから、ヒロインの石野陽子さんがパトカーに取り残されてデストロイアに襲われるシーンも、丸々自分が足したんだよ。
このシーンが無くて主役クラスの人がドラマに絡まないと、どうしても遊離した印象になっちゃうんで。
特殊部隊の戦いだけで一週間くらいかかっちゃったし、石野さんがパトカーに閉じ込められるのも3〜4日かかりきりで、これは自分で自分の首を締めた様なもんだったね(笑)。

――スケジュールの都合で、特殊戦略室の黒木役はお兄さんの嶋政宏さんが演じましたね。

大河原 あの黒木が誰であるかという事は、あくまでプロデューサーレベルの問題でね。
政宏君も喜んで演じてくれて、「短い撮影日数でイイとこ持って行っちゃっていいんですかね」って言ってたね(笑)。
それから、河内桃子さんも「一作目のゴジラがあるから今の自分があるんです」って言ってくれて。
その後の山根家の人間関係には大森さんも苦労されて、作品には山根博士の家族関係とかが旨く盛り込めた様な気がします。

――ゴジラの死については、何かディスカッションがあったのですか?

大河原 これは当初からメルトダウンって決まっていたね。
普通だったら通常のゴジラがいて、ドラマの中で異変が起きて体表が赤くなっていくんでしょうけど、そこを一切省略して。
最初から赤いんだっていう。
それはそれでインパクトがあって良かったと思うね。

――ラストでゴジラは消滅してシリーズは完結しましたが、3本を担当されて完結させた事について感慨がございましたか?

大河原 シンボリックに思い出せるのは、小高恵美さんが演じる三枝未希の「私の役目は終わった」とのセリフ。
シリーズ全体のことをある意味暗示したようなセリフともとれるものでね。
これでしばらくゴジラ映画が見られないっていう、そういう意味では一つの締めくくりだったかなと思います。

――音楽の担当は伊福部昭さんでしたね。

大河原 何といっても、ゴジラにとってあの伊福部さんのテーマ音楽はもう、欠かせないというかね。
やっぱりゴジラの造形と効果音と音楽、そこのところは取って代わるものがなかなか無いでしょう。
映像と音楽の融合の意味から言えば、音楽はたいへんな武器になるわけで、音楽一つでそのシーンが生きたり死んだりする事もありますから。
ただ日本映画の仕上げのスタイルがいかんせん、音楽を吟味する時間が中々取れないのが現状なので、そのへんは出来るだけ改善してもらいたいですね。

――大河原監督の代表作とも言える『誘拐』(97年)について。

大河原 当初は何人か監督の候補があって、自分に刑事ものが出来るのかとの外野の声もあったそうです。
それを跳ね返してくれたのは、多分、富山さんですね。
特撮作品とかの枠にとらわれずに演出力としての評価をしてくれた、という事なんだろうと思いますね。

――東京都内のロケーションも凄かったですね。

大河原 あれは、カメラは全部で20台くらいかな。
時間を決めて一発勝負のゲリラ撮影だね。
東昭物産の役員室の撮影では、カメラマンの木村さんが、同じ誘拐ものの代表作『天国と地獄』(63年)と張り合って、セットを出来るだけ広く良く見せようとの思い入れが強かったですね。

――劇中、目撃者の証言を現実にビジュアルで見せるのが説得力を持たせていましたね。

大河原 そこは禁じ手風に取られかねないところなんだけどなあ。
焼き芋屋の車が誘拐車にぶつけるシーンの撮影で、たまたま通りかかった一般の人が当て逃げだと思ってね。
そのまま後を追っ掛けて行って、ちょっとした騒動にもなった(笑)。
最近、ようやくDVD化されたので、未見の方は是非ともご覧頂ければと…。

――アメリカ版『GODZILLA』(98年)公開の影響もあって、3年のブランクを経て、『ゴジラ2000ミレニアム』(99年)が製作されました。

大河原 新たなシリーズの第一作を、是非お願いしますという事でね。
プロット的には決まってたものがあったんだけど、宇宙人がドラマの重要な科学者の脳に侵入するというものでね。
これはご都合主義そのもので、悪いけどどうにもならないと思って。
ただ「ゴジラ予知ネット」の設定は、このプロットからあった要素をスライドしてそのまま使いました。
あちこちにメンバーがいてゴジラをリサーチしている。
これは面白いと思いました。
それから円盤を出したいという事は決まっていて、円盤というとやっぱり超高層ビルに乗っているイメージがあってね。
言ってみれば当初のプロットから良いとこ取りして、新たなものにしたという事です。

――ゴジラ自体の造形もリファインされましたね。

大河原 そこは富山プロデューサーをはじめ、皆がこだわったところで。
新たなフォルムを持ったゴジラを作ろうという事で、背びれの形から、全体のバランスから、身長も抑えてね。
ですから、最初はゴジラのデザイン検討と平行して、シナリオを固める作業の両方をやっていました。

――主役の村田雄浩さんも監督とは3本目ですね。

大河原 そうですね。
シナリオを読んでのイメージが彼にピッタリだったんだよね。
それは鈴木(健二)特撮監督も一緒でしたね。

――劇中では、なぎら健壱さんのシーンが、大河原さんの持ち味かなと思いました。

大河原 ああいうところで、ちょっと肩の力を抜いてもらってね。
なぎらさんもせっかく出てもらうんだから、もちろんそりゃ生かさなきゃとの思いはありましたね。

――冒頭の根室でのゴジラの破壊は、非常に良い雰囲気ですね。

大河原 これは、「根室の部分だけで満足出来るくらいのクオリティにしたいですよね」と富山さんから言われてね。
霧深い灯台のシーンもそうだし、車の奥を並走するゴジラとか、これまでに無いビジュアルを作り出そうと思っていましたからね。
この作品では、本格的にデジタル技術が導入されて、その技術を存分に多用した反面、海岸にゴジラの実物大の足を作るというアナログ的な部分もあってね。
それらの対比が面白いかなというところですね。

――後半の「シティ・タワー」ビルのシーンも象徴的でした。

大河原 劇中の「シティ・タワー」ビルは、西新宿の初台にある東京オペラシティのビルでしたね。
200m以上の高さのある、このビルであればどこからでも見られるという、視覚的な効果も狙ったんですけどね。
あの当時は、ゴジラが来て壊される方が嬉しいみたいなつもりでビル側に相談してみたら、完成したばかりなので、それはダメだって言われた様ですね。
ですからビル絡みのシーンは、恵比寿にある陸上自衛隊の目黒駐屯地や川崎のビルでロケーションをやりました。

――この作品の特撮は鈴木健二さんが担当されましたが、川北監督とは違いがございましたか?

大河原 川北さんとは打ち合わせも何も無くて、絵コンテを出されて「はい」って感じで(苦笑)、あとはもうテッちゃん(手塚昌明)なんかが間に入って調整していましたね。
ケンちゃん(鈴木健二)とは、けっこう打ち合わせを重ねたとの記憶がありますね。

――ラストでゴジラが海の中に消えずに、街の中で放射熱線を吐きまくって終わるというのは画期的なラストだったと思います。

大河原 そうでしたね。
何もかもみんな焼いてやるぞ〜って感じで、ゴジラの圧倒的な存在感というか。
あのラストは、ゴジラの存在自体をシンボリックに見せたいという事でした。

――敵怪獣が登場するのは、ゴジラ一匹でドラマを作るのを避けられた感じですか?それとも、もともと対決物で、との前提だったんでしょうか?

大河原 それはもともとじゃないですかね。
新シリーズとなると、ゴジラの単体作品とのイメージが強いですが、ストーリー作りの難しさも必然的について回りますから。

――完成作品の手応えはいかがでしたか。

大河原 シナリオの完成度が、ちょっとどうなのかなっていうのは引きずっちゃったのかもしれないですね。
ただ当時、調整部の所属であった高井(英幸)さんがオールラッシュを見て、ゴジラの特撮シーンが凄い迫力があるとの事で誉めていましたね。

――振り返って担当された作品の総括を。

大河原 このインタビューでも何度も言っていますが、映画はシナリオの出来に関わるところが大きいと思っています。
出来るだけ良いシナリオで製作に望みたいというのが第一ですね。
やっぱりシナリオが40%で、後はお芝居との比率でしょうから。
シナリオさえ良ければ、それこそ演出家の腕が問われるわけで。
その点はゴジラにしろ学園オカルトものにしろ、常に一貫したスタンスで望んでいるつもりです。

――インタビューの最後に、『俺とゴジラ』を一言でお願いします。

大河原 ゴジラ映画のスタートである一作目では、ゴジラを核の恐怖を具現化した存在として、単なる怪獣映画にしないという、田中さんと本多(猪四郎)監督と円谷(英二)特技監督らの、その志の高さには敬服しますね。
その一本目の崇高な精神を忘れずに、自分も一本ずつ少しでも面白い映画になるようにと、精一杯やってきたつもりです。
言うまでもなく、ゴジラは世界に冠たる日本が生み出した強烈なキャラクターの一つであり、唯一無二の貴重な名キャラクターであると思っています。

――本日は長時間にわたるインタビュー、誠にありがとうございました。

取材&インタビュー構成:中村 哲(特撮ライター)
インタビュー原稿作成協力:mayoko

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