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俺とゴジラ

2015年8月17日

第四回 ゴジラ俳優 中島春雄氏(前編)

――第一作の『ゴジラ』(54年)で、着ぐるみ役者に抜擢された経緯をお聞かせ下さい。

中島春雄(以下、中島)
自分がゴジラの着ぐるみ役者にどのような経緯で抜擢されたのか、事実はどうなんだか本当のところはよく分からないんだよ。『ゴジラ』の前年に製作された、戦記映画の『太平洋の鷲』(53年)で、空母艦上の火だるまになった航空兵のスタントの演技が良かったから、なんて話もたびたび風の噂に聞くけれどもね。

――初めて“ゴジラ”と聞いて思われたことは?

中島 当初は“ゴジラ”という名前ではなくて、シナリオの表紙にも「G作品」としか書いてなくてね。そのシナリオを自分に渡してくれた演技課の課長からは、ただの“怪物”なんだと言われてたね。でも、“怪物”というのも、今一つピンとこなくてね。まぁ、太古の恐竜か大ガマの類いなんじゃないのかなと勝手に思っていたよ。

――ゴジラとの初対面時のご感想を。

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中島 最初にゴジラの姿を見たのは、特撮担当の円谷英二さんから見せられた画コンテだね。円谷さんから「これはこの映画の主役のゴジラで、身長50メートルの怪物だよ」と聞かされ、合わせて「これを演じてもらうんだ。中島くん、覚悟してくれよ」とも言われてね。いきなり「覚悟してくれ」と言われてもなぁ(苦笑)と思いつつ、演技の参考用にとRKOの映画『キングコング』(33年)を見させられてね。それから2〜3週間経って、確か東宝撮影所の第3ステージで、ゴジラの動きの初テストをしたんだね。リヤカーの荷台に横たわっていたゴジラの着ぐるみを、大の男が3、4人がかりで立たせていて、「こりゃ、相当重そうでけっこう動きづらそうな代物だな」と思ったね。

――それで着ぐるみに入ったわけですね。

中島 ゴジラの着ぐるみ役者は、実は僕の他にもう一人用意されていて、それは先輩俳優の手塚勝己さんだった。僕らは“テッチャン”と呼んでいたけれども、テッチャンは度胸と腕っ節が自慢の元プロ野球の選手で、撮影所内の俳優の中でも親分肌の存在だった。テッチャンがメインの着ぐるみ役者で、僕がその補佐役との組み合わせ。それで、最初に着ぐるみに入ったのはテッチャンだったけれども、2〜3メートル進んだところで「もうダメだ!」と音を上げてね。続いて僕がやったけれども、とにかく重くてろくに足も上らず夢中で動いていたら、しばらくして外からストップがかかってね。何とか10メートルくらいは動いたけれども、それを見ていた円谷さんや監督の本多(猪四郎)さんらスタッフの皆が思案顔になっていたね。

――ゴジラの動きを思うように表出出来るのかが課題になったんですね。

中島 円谷さんらの苦悩がこちらにも伝わって来たのは充分に分かったけれども、かといって僕らにはどうしようもないことだったからね。僕らに出来ることはゴジラの着ぐるみに入って、どんなに汗だくになろうとも一生懸命に求められている演技をすることだけだったね。

――撮影前に円谷さんから何か演技上の注意はございましたか?

中島 円谷さんからは事前に僕とテッチャンに「あくまでもこれは空想の世界のお話だから、ゴジラの着ぐるみの中に人間が入っているような動きには見えないような芝居をしてくれ」とアドバイスをされて。これを聞いて何がしかのヒントを得ようかと、一週間ほど上野動物園に行って象や熊、ゴリラなんかの動きを観察したり研究したね。

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――そして撮影ですね。

中島 ゴジラの着ぐるみを使った初めての撮影は、国会議事堂を破壊するカットだよ。そちらはテッチャンが演じたね。その撮影では、ゴジラの前進中に足許の何かにつまづいて議事堂の上部に思い切り倒れこんでね。着ぐるみの中から出て来て何処かをぶつけたテッチャンが、「こんな出来損ないで演技が出来るか!」と周囲に怒鳴り散らして、しかも造形のアルバイトを突き飛ばしてね。それを見て反面教師じゃないけれども、「何があろうと自分は文句や泣き言は絶対に言わない」と、その時心に誓ったよ。

――中島さん自身のファーストカットは覚えられていますか?

中島 これは僕の記憶が今一つなんだけれども…。確か最初に作られた着ぐるみが余りにも重くて思うように動けなかったから、着ぐるみを上下に分割して、何とか演技が出来るようにしてね。これはおそらく円谷さんの指示だったと思うね。それで吊りズボン式となった下半身のみの着ぐるみで、ゴジラの歩く芝居やミニチュアを破壊するシーンを撮影したと思うんだ。でも、足の中に入っている下駄の鼻緒が思い切り指に喰い込んで痛かったとの記憶はハッキリしているよ。円谷さんからは「足を高く上げて歩くんじゃないよ。足の裏を見せないようにして、すり足気味で歩いてくれ」と指示されたね。

――それでは、全身の着ぐるみでの初撮影のカットは?

中島 それは国会議事堂のシーンと平行して準備が行われていた、銀座の街中を前進するシーンだね。撮影の段取りは、まず着ぐるみを被らずに円谷さんと打ち合わせをしてからゴジラが歩くコースを決定し、それからテスト、本番の順番で撮影をするんだ。自分が歩くコースは、道路上に障害物が何も無かったおかげもあってか、本番では一発でOKがもらえてホッとしたよ。

――特撮の撮影はカメラが3台ですね。

中島 そう、スリーカメラが基本だよ。どんな大スターや名俳優だってたいていワンカメラなのに、常にスリーカメラというのは、自分の顔は写らないけれども、演じていてこんなに嬉しいことは無かったね。

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――着ぐるみの中から思うように外部は確認できましたか?

中島 ちょうどゴジラの首のあたりに外を確認するための小さい穴がいくつも開けられていて、それなりに外の様子を確認出来たね。時にはミニチュアセットの街並みが本物のように感じられて、自分が巨大怪獣になったような錯覚を起こしそうなこともあったよ。

――中島さんや手塚さんの撮影での服装はどんな感じでしたか?

中島 とにかく着ぐるみの中は猛烈に暑いから、僕もテッチャンも常に丸首のシャツとショートパンツの服装で、頭には手ぬぐいをくくり付けてね。下半身のみの着ぐるみの時は、上下共に普通の格好で大丈夫だったよ。

――特に難しかった撮影はどのシーンですか?

中島 僕にとっては、銀座・和光の時計台のカットだね。このシーンの撮影では、本番の直前に円谷さんが「時計台の鐘の音に反応したゴジラが、何だろうといった感じで時計台に触れて破壊してしまう」といった感じでやろうと提案されてね。特撮スタッフの皆も同調して、本番の撮影が行われたけれども、ゴジラの着ぐるみの腕の肘は90度の直角に曲った形で固く造形されていたので、思うように腕が動かず、自然な破壊の動きが全然出来ずにNGとなってしまったんだ。結局、時計台のミニチュアは二度作り直して、ようやく三度目でOKがもらえたんだよ。この時をきっかけにか、円谷さんは「いつもゴジラの芝居は自然に」と強調されるようになったね。

――セット撮影とは別に、プールでの撮影もありました。

中島 ゴジラが水中から顔を上げて東京に上陸しようするシーンだね。これはスタジオの中に作ったセットプールでの撮影だったけれども、子供の頃から日本海の荒海で育った僕には何ていうことは無かったね。潜水で5メートルくらい潜るのはへっちゃらだったから、着ぐるみを着てプールの中で待機して、タイミングを合わせて水中から飛び出すのも全然平気だったよ。水絡みといえば、秋口には撮影所内に新築されたオープンのプールで、隅田川から東京湾に逃れるさ中、自衛隊機と交戦するゴジラのシーンも撮影したね。

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――中島さんと手塚さん、着ぐるみの中に入ってゴジラを演じられるのは半々くらいの感じだったんでしょうか?

中島 この当時、テッチャンは41歳で、僕が25歳。撮影の当初は半々でゴジラの中に入っていたけれども、だんだんとゴジラ役を指名されるのが僕のほうが多くなっていってね。それはきっと、何より僕がテッチャンより若くて、この仕事に比較的早く順応出来たからじゃないかと思うんだけれどもね。

――特撮スタッフの中心であった、円谷英二さんの人柄についてお聞かせ下さい。

中島 初対面時の円谷さんは、丸顔で小柄、そしていつも穏やかな好々爺といった感じだったけれども、その反面、昔ながらの活動屋といった感じの雰囲気のある人でね。スタッフの皆から親しみを込めて “オヤジさん”と呼ばれていて、その愛称がピッタリの人物だったよ。打ち合わせの際には比較的に優しい言葉で話しかけるけれども、いざ撮影となると一切の妥協をしないプロフェッショナルでね。撮影が失敗して他の特撮スタッフを怒鳴ることがあっても、僕やテッチャンに怒ることは全く無かったね。それに僕らのことを信用してくれてか、ゴジラの細かい動きに関しては任せてくれて、何も言われなかったのも嬉しかったね。

――円谷さん以外の特撮スタッフの皆さんはどんな感じでしたか?

中島 特撮担当の円谷組には、撮影の有川(貞昌)さんや美術の渡辺(明)さん、操演の中代(文雄)さんら、円谷さんとは長いつきあいのスタッフが揃っていたんだけどね。でも、撮影所の中では他の部署の人間から「ゲテモノやお化けでも作っているのか!」って、けっこうバカにされて可哀想だったんだよね。だから、いつも何か表から隠れて仕事をやっている感じもあったね。

――中島さんや手塚さんと現場でのつきあいが深かったであろう、造形のスタッフについてもお聞かせ下さい。

中島 ゴジラの頭部を造形した利光貞三さんをチーフに、八木康栄さんと八木勘寿さんの八木兄弟、その下に開米栄三さんの計4人がメインの造形スタッフだったね。開米さんは背が高かったからか皆から“チョーさん”と呼ばれていて、ゴジラの着ぐるみを絶えずサポートする、所謂“ゴジラ付き”をやってくれてね。その縁や年齢も近いせいもあってか、僕とチョーさんは次第に相棒みたいな間柄になっていったね。そうそう、この時のゴジラの口の上下の動きもワイヤー操作で開閉する仕組みで、それを担当したのもチョーさんだったよ。

――ゴジラの演技を通じて思われたことは何かございましたか?

中島 当初思ったことは、着ぐるみ役者は“孤独”だということだね。着ぐるみを着て重いとか暑いとかはそれなりに我慢出来たけれども、着ぐるみの中で厚いゴムに覆われて周囲の音がくぐもる感じや、背中を閉じられて自分では絶対出られない不安感は、なかなか拭い去らすことが出来なくてね。でも、時間が経つにつれてそれらの孤独感は徐々に薄れて行って、自分がこの映画の主役を演じているんだという、ゴジラを演じるのは気持ちが良いというものに変わっていったんだよ。

――ゴジラの演技をやり終えた際のご感想を。

中島 オヤジさんから頼まれた仕事を、テッチャンと二人で無事にこなせて、何よりホッとしたけれども、合わせてやり遂げた達成感もあったね。

――この『ゴジラ』では、手塚さんと共に本編にも出演されました。

中島 それは劇中の毎朝新聞社の編集部のシーンだね。テッチャンはデスク役、僕は編集部員の一人で、「しかし君、現状の災害をどうするんだ」との、一言だけれどもセリフもあって、この『ゴジラ』では、ゴジラ役と合わせて二役を演じさせてもらったわけだよ。

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――『ゴジラ』が完成、公開された時のことを。

中島 完成した映画は、確か撮影所の試写室で観たんだと思うな。この『ゴジラ』には『キングコング』と同じように独特の味というものがあって、これが“日本の特撮”なんだなと感じたよ。でも、常に撮影の合間にラッシュの映像を見ていたから、もの凄く感動することは無かったね。一番驚いたことと言えば、どんな動物にも似ていないゴジラの鳴き声だね。これにはとにかくビックリしたよ。映画の公開時には渋谷東宝に観に行ったけれども、超満員の観客の皆が画面に釘付けになっていてね。その観客の皆さんを見渡して、「思わずありがとう!」っていう気持ちになったね。

――当初は、この一作のみと思われていましたでしょうか?

中島 もちろん、大ヒットを記録したけれども、『ゴジラ』に続編があるなんて全然思ってもいなかったよ。だから2作目の『ゴジラの逆襲』(55年)の企画を聞いた時は、ちょっと驚いたよね。まぁ、自分の顔が写らなくとも、主演作が1本で終わらなかったことは有り難いことだとも思ったよ。

――ゴジラ役を担当されて、何かマスコミへの露出はあったんですか?

中島 第一作の時は完全な秘密主義で、マスコミに対しても特撮に関わることについては一切明かさなかったね。けれども『ゴジラの逆襲』じゃ、積極的にマスコミを呼んで、僕なんかもテッチャンと一緒に写真雑誌なんかの質問によく答えてね。時代劇が得意で巨匠と言われた稲垣(浩)監督からも「お前、グラビアに写って大したもんだな」と誉められたよ(笑)。

――『ゴジラの逆襲』では、ゴジラの着ぐるみはたいへん軽くなりましたね。

中島 2作目では、造形班が僕の体形にきちんと合わせてゴジラの着ぐるみを作ってくれてね。それにこの作品ではスピーディな動きを要求されたから、前作での経験も合わせて着ぐるみの素材にラテックスを使って軽量化してくれてね。腕の伸ばしも自由になって、下駄が入っていた足の中もゴム長にしてくれてね。でも、当時のゴム長は質が良くなくて固くてね。履くのに10分近くかかった覚えがあるよ。

――敵怪獣のアンギラス役は手塚さんですね。

中島 そう、テッチャンはゴジラと戦う暴龍のアンギラス役でね。これも腹ばいの状態で演じなければならないから、けっこう大変だったと思うね。でも大阪城での最終決戦では、テッチャン演じるアンギラスをお堀の泥水の中に、首根っこ押さえて落っことしてね。日頃テッチャンには頭が上らなかったから、ちょっと申し訳ないけど、この時とばかりに思わず力が入ったね(笑)。

――怪獣対決の殺陣についてお聞かせ下さい。

中島 オヤジさんからは「役者なんだからアクションは得意だろう、好きにやってくれ」と、この作品以降の怪獣の立ち回りは全て僕に任されてね。時代劇に殺陣師はいても、怪獣映画にはいなかったからね。プレッシャーは大きかったけれども、何より自分に任せてくれたのは嬉しかったよ。

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――続く第3作は、日米を代表する二大怪獣が激突する『キングコング対ゴジラ』(62年)ですね。

中島 『キングコング対ゴジラ』は、『ゴジラの逆襲』以来、7年振りのゴジラ映画で、久しぶりの怪獣同志の立ち回りに僕も張り切ったね。だいたい立ち回りの中身は、その日に即興で決めることが多くてね。これは実際に演技するセットを見なければ何も分からないからね。この頃になると、ゴジラ自体の演技も観客へのサービスを意識してか、けっこう擬人化されるようになってね。それからセットの中の大きな落とし穴に落ちたり、熱海城のある崖から海に落ちたりと、危険なことも多かったけれども平気でやらされたね。

――キングコング役は、同じ大部屋俳優の広瀬正一さんでした。

中島 広瀬君は僕と一緒に俳優学校に入った仲間で、海軍でソロモン海戦の生き残りということで“ソロモン”という仇名だったね。彼も着ぐるみの中に入るのはこの時が初めてだったけれども、猿のモノマネが得意で、俳優学校に行って一応役者としての心得があったから、特に心配はしなかったよ。

――この時は、手塚さんが着ぐるみに入ったゴジラを、大プールでスタッフと共に誘導する中島さんのスナップが残っていますね。

中島 そうだね。北極海なんかの水絡みのシーンはテッチャンが演じてくれたんだね。確かこの時も二人でゴジラを演じたけれども、テッチャンがゴジラ役を担当したのはこの作品が最後だったと記憶しているよ。



以上前編

取材&インタビュー構成:中村 哲(特撮ライター)

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