2014年3月3日
2014年4月18日
第一回 元東宝映画 代表取締役社長 プロデューサー 富山省吾氏(後編)
――大変だった撮影・作品についてお教え下さい。
富山 特定の作品って事じゃなくて、いつもそうだったという話になるのだけど、結局ゴジラの作り方は本編班と特撮班が同時に撮影をして行く。そうすると特撮の方で苦労が多い。特撮って1時間に何カット撮れるかっていうと、普通の速度で良くて2カット。それでクランクアップまで1週間とかっていう頃に、絵コンテが後200カットとか300カット残っていて、どうやってこれを撮るのっていう話に毎回なる。それで絵コンテを整理しようって言うのだけども、川北さんもそんな事は分かってるっていう顔でやっていて、結局やりたい事はやる。どうやったって物理的には辿り着けないだろうという現実が、クランクアップ1週間前から目の前に見えて来るワケ。じゃあ、どうするんだという事で、チーフ助監督と製作担当と僕とで、どういう作戦でいくかって撮り方だ何だってずーっとやりながら、それでも最終日の朝まだ100カットくらい残ってる。で3班体制で準備できたところからカメラ廻すことにして、徹夜はしょうがないけど次の日の朝の定時9時までで切るゾとか言って突入する。翌日、定時は定時でも夕方の午後5時にアップする(笑)。そんなことばかりやってました。
――そのような場合、クランクアップを延ばす事になりがちだと思うのです?
富山 企画開発から完成までの間で「最高の映画にしたい」って思いは僕も同じなので、僕自身の狙いも含めて、監督とスタッフがとことん追求したいって言うシーン・カットには最大限の予算と時間を用意して撮影を始めます。撮影日数そのもので言えば、本編が45日だとしたら特撮は70日くらい最初から用意してある。撮影所の製作費のキャパとして最大限日数も取っているのにそれでも足りなくなる。だからそこから先また2〜3日延ばすなんて事は、プロデューサーとしてはありえない。でも監督筆頭に皆もっと撮りたい、必要だと思っている。僕だって本当は撮らせてあげたい。けど、クランクアップを守らなきゃどうすんの。だって東京国際映画祭が待っているんだから(笑)。映画祭に間に合わせることと、最終的に公開作品としての高いレベルを守ること。これがシリーズとして毎年ゴジラを作る者として守らなければいけないことでした。クランクアップまでの苦労、ポスプロに入ってからカットそれぞれにOKが出て最終的に検定まで行く苦労、それが毎年続きました。やっぱり年に一本撮るのは大変なんです。とはいえスタッフみんなが撮影と仕上げのそれぞれのペースを熟知しているから、クランクアップに向けてと検定に向けて、ギリギリの綱渡りでも乗り切る経験と読みを持っていた。どう先回りするか、フォローするか、各パートが噛み合っていた。シリーズ映画の最大のメリットは、毎年の製作を通してスタッフがグングン成長して力を付けて行くことだと思いました。中でも『VSモスラ』『メカゴジラ』『デストロイア』『ミレニアム』の大河原監督には助けてもらいました。大河原さんは『影武者』で本多監督とご一緒されていますが、「お客さんに楽しんでもらおう」というエンターテイメント精神はお二人共通のものだと思います。まさにゴジラを継承するふさわしい監督として、あらゆる場面で助けてもらいました。感謝しています。仕上げの最終段階になると本社の営業部とラボとで完成後のプリントの量産に向けての体制を事前に確認して、一日でも半日でも仕上げ時間を確保するように手配する。先ずインターネガ取って、オリジナルネガで何本焼くか、全体の本数は何本になるか、最初の地方試写はどこで、発送はいつか? ここのスケジュールを上手くやって封切りに向けてプリントが全国に送られて行くわけです。当時200本以上焼く作品なんて年に何作品もない時代だから、正月映画として最大の配給体制の中にプリントが運ばれて行くのはプロデューサー冥利に尽きました。当時も感じていましたが、東京国際映画祭で観に来る人たちは完成形と違うって事を知っていて、それを含めて途中経過を観るっていうのを面白がってくれていた。作る僕らも間に合わせるために頑張ったから褒めて!みたいな気持ちがあった。映画祭の上映の随所で湧き上がる拍手は本当に嬉しかったし、ゴジラファンは素晴らしい!っていつも思いました。それで公開初日にドーンってお客さんが入ると、やっぱりゴジラはお客さんが支えてくれているという実感が持てて、次も頑張るぞ!ってなる(笑)。
――秘蔵エピソード、誰にもまだ、世の中に出てないエピソードがあればお教え下さい。
富山 新怪獣のネーミングとか。例えばVSシリーズで、バトラとデストロイアは新怪獣なので、デザインワークを進めながら名前を考える。キャラクターの属性から考えてこういう名前が良いよねとか、皆でワーワー候補出してやるわけ。最終的にこれかなと絞って事業部に持って行く。それでこの名前どう?って聞くとパーッと調べて、それは化粧品で商標登録されていますと(笑)。商標登録されているモノでも、違うカテゴリーだから使えないわけじゃないけど、クレームつけられる心配があるのはどうか?ということで別を考える。何回かやり取りして作り直してそれでもなかなか決まらなかった記憶があります。バトラもどっかのアニメの総督の名前だとか、色々な事言われた。この苦労があったんで、デストロイアの時は元祖のオキシジェン・デストロイヤーからネーミングしました。結局、ゴジラを筆頭にネーミングも凄いんですよ、東宝特撮は。田中プロデユーサーは百科事典や動物の博物誌を集めていて、海外のイラスト集もたくさん持っていた。本多監督は一流の教養人だし、円谷さんは理系の知識の宝庫。伊福部先生も古今東西の博物学に長けていらっしゃいました。名前の持つ発する力を考えた時、一つ一つ本当に素晴らしいと思いますね。ゴジラ・ラドン・モスラ・キングギドラ、凄いでしょ。だから僕らが付けた名前がキャラクターに永久の生命を与えたかっていうと、とても力不足って感じがする。ネーミングがいかに難しいかっていう事を知りました。メガギラスは脚本の三村氏がメガヌロンが大きくなったら面白いんじゃないかと言って、それいい!と。昆虫の変態の過程を怪獣でやろうという事にした。メガヌロン、メガニューラ、メガギラス。映画の中では登場人物が初めて名前を口にする場面が見せ場になるんで、中村嘉葎雄さんの科学者が言い切ってもらって納まりました。怪獣のネーミングは考えてる時は楽しいんだけど、全然自信ない。難しいなーって思います。
――ミレニアムシリーズのメカゴジラが機龍というネーミングなのは、どのような経緯で?
富山
あれは手塚監督が軍事系が好きなんで。ハマってるネーミングですよね。
ミレニアムシリーズには田中美里くんと釈由美子くん、ゴジラと戦うヒロインというラインを作っていて、その中に前後の作品と隔絶した金子(修介)ゴジラ、白眼のゴジラがいる。白い眼のゴジラには驚きました。これまで黒い眼のゴジラはライティングでそう見える瞬間がカッコ良いと思ったし、生頼先生のイラストにもあった。でも白い眼はなあ…、って造形の製作途中で見ていて思うわけ。んー…とか思いながら造形の品田冬樹さんに、これ本当の白目だと見え方として変なんじゃないっていう話をしたら、いやこれは黒目のあるところにうすーく黒い毛細管の様な目を作るのですと。だからよーく見ると瞳がある。ただの白目じゃなくて、そういうニュアンスがあると教えてくれた。僕もそれで安心して、やっぱり造形の人が分かってくれていたのが嬉しかった。
――いつものゴジラと違うわけで、それを立場的にGOを出す覚悟というのは?
富山 まずは田中友幸プロデューサーがどう思うだろうって考える。これ許さないんじゃないかなって。でも金子監督、(特殊技術の)神谷くんたちがやりたいっていう事はやらせてあげたい。ゴジラは本来禍津神、つまりは破壊神。自然生命を越えたものという考え方はゴジラの属性としてあるので、表現の新しさとして面白いと思ってそのまま進めました。
――戦わせてみたい夢の怪獣バトルは?
富山 格闘技は好きなので、マッチメイクのポイントは噛み合うかどうか、だと思う。戦い方とか、お互いのルールとかが噛み合う相手じゃないとうまくいかない。そういう意味で言うと地球のゴジラ対宇宙のキングギドラっていうのは一番噛み合うと思う。アメリカのキングゴングと日本のゴジラもそう。だから一番マッチングするのはゴジラとキングギドラ・キングゴングだし、逆にミスマッチ過ぎて成立しちゃうのはゴジラ対モスラだと思う。どう考えたってゴジラが蛾に負けるはずない! でも負けちゃうんだよね。
――しかも幼虫に負けましたからね。
富山
そう、やっぱり女子供には弱い(笑)。ミスマッチの究極の面白さがゴジラ対モスラだと思う。
観てみたいって事で言うと、ゴジラはどちらかというと宮本武蔵系だから、佐々木小次郎みたいな、シャープで動きの良い2足歩行の怪獣っていうは1つあるかな。ヘドラとかビオランテみたいな不定形・変形的な怪獣っていうのも面白い。あとはダークエネルギー系の怪獣も成立すると思う。ファイナルウォーズの最後は、そういう感じになるんだけど、あれはあれでギドラって事にしちゃったので、まだ新怪獣が出てくる余地はあるっていう気はします。昔この質問を色々な方々にされた時は、結局ガメラとは戦わないのかっていうのが質問の主旨だったので、僕はどうも戦い方として噛み合わないような気がするって答えました。二足歩行と四足の目線の違いと、がっぷり四つに組む難しさ、もちろんガメラは飛べるんだけど、それでもねえ。基本となる戦う世界観と土壌が作り難い気がするんです。
――ゴジラ映画の魅力についてお教え下さい。
富山 これは田中友幸プロデューサーが言っていた言葉として皆さんにお伝えしたいのですけど、ゴジラの魅力って何ですか?って聞かれると、必ず「怖いけど可愛い」って答えるわけ。怖いっていうのは、映画としてゴジラを見て自分が逃げる側になった時に怖いと思う。可愛いっていうのは、ゴジラそのものに感情移入して自分がゴジラになっちゃうと、ゴジラが自分にとって可愛い存在になるという。ゴジラ映画の魅力、ゴジラの魅力っていうのはこの一言で言い尽くしていると思います。両面性を持ったキャラクターであって、単純な一面的なキャラクターではないということです。映画としてのゴジラ映画の魅力を考えると、この両面性ってゴジラの生い立ちそのものにあるわけです。ゴジラの存在そのものに。ゴジラは核実験によって怪獣化して現れた。だからゴジラは人間が作り出したものなのだけども、人間側は自分が作り出したゴジラを倒す事は出来ない。僕の思うゴジラ映画は、人間にとって倒すことができない存在のゴジラとどう戦うかっていう話だと思っている。自分が生み出したものを自分が倒す事が出来ないっていう二律背反の両面性と矛盾。これがゴジラ映画の魅力そのものだと思う。だから、ゴジラは倒すことができるっていう映画にしてしまうと、もうそれで本当のゴジラ映画の魅力は終わっちゃうんだよね。トライスターゴジラの場合はアメリカ映画としてモンスターは倒すものっていうゴールを変えられなかった。映画としてゴジラを倒す話で終わっているところが、あまりにもストレートだったんで物足りなかったんだと思う。
――ミサイル攻撃で倒されてしまいましたからね。
富山 そう。人間を越える存在としてのゴジラ。これがゴジラ映画の魅力の本質です。レジェンダリー版ゴジラは、このことを踏まえた上で何かやってくれそうな気がする。ギャレスに期待してます。あと、ゴジラの造形としての魅力で言うと、まずフォルムのカッコよさ。フィクションの龍と実在の恐竜が一緒になった恐ろしい顔と大きな口、大きな背鰭と、大きな尻尾。2足歩行で歩いて、轟く咆哮(叫び声)と無敵の熱線を浴びせ掛ける。これがゴジラ。今言ったもの全部がないとゴジラとは言えないので、そうすると熱線を吐かないゴジラはちょっと待てという事になる。それと破壊の快感。これは映画ならではのスペクタクル。ゴジラが巨大な街、巨大な建造物を破壊する。それがカタルシスに繋がるっていうのがゴジラ映画の魅力。
――名所旧蹟が破壊されるのは、映画の1つの楽しみですからね。
「VSキングギドラ」の時は、都庁が完成した途端にすぐ壊してましたよね。
富山
あれは絶対誰も文句言わないだろうと思った(笑)。
ランドマークタワーの時は完成前だったので、弁護士の先生にもご相談して慎重に考えた。実際のビルをミニチュアで作って、それを壊すという事はコピーライトの侵害にならないのか? 建築物の著作権は設計図にあるから街の建造物には著作権はないという見解だった。ただランドマークは三菱地所さんが建てていて、三菱地所さんは田中プロデューサーが博覧会を中心にたくさん仕事をしていたのでご挨拶に行きました。完成前のランドマークの上まで登らせてもらって見学させてもらいながら、三菱の人が「ほら見てごらんなさい」と指を指さして、「皆あんなに一生懸命働いているでしょ?それをまだ出来上がる前に壊すんですか!」と言われた時は参った。いや映画ですからって言って、内諾を貰ったけど、封切ったあとに色々なマスコミ記事で、これからオープンするランドマークを壊したっていう事が物凄い宣伝になったと出ていた。最終的にはランドマークサイドの広報からもお礼を言ってもらえて、ホッとしたという事がありました。あと、関西国際空港。あれも壊したいなと思って、「VSビオランテ」でゴジラが大阪上陸する途中に丁度あるなって事でお願いに行ったら、「ここは地盤が非常に軟弱で、もし映画であっても壊れるなんていう評判が立つような事が起きたら、この工事自体がどうなるか分かりません!」と言われた。わかりました。では、関空建設基地に小高恵美くんって子が立って撮影するロケーションを許してもらえませんか?ってお願いに換えた。それで工事現場に小高くんが立って、ゴジラがその向こうの海を行く画に換えたわけ。ロケを許してもらえたから、それはそれでとてもありがたかった。
――次はスカイツリーですね。
富山
スカイツリーね、高過ぎ!
本当に高過ぎる建物は、光線とか飛び散った破片とか何かのアクションの影響で倒れるのがいい。ちょっと遠くで倒れる。それがスケール的には合う。近いとどうしようもない。
――ハリウッド版ゴジラにエールをいただけますか?
富山 5、6年ぐらい前になると思うけど「ダークナイト」が公開した後に、レジェンダリ―の「ダークナイト」のプロデューサーだったチャールズ・ローベンと電話で話した事があった。ちょっといい企画があるんだけど一緒にやらないか?って。ハリウッドと日本が組むのにちょうどいいサイズの提案を1つした。そしたらチャックが、「それは面白い!でもゴジラがやりたい!」って言ったんだよね。やっぱりレジェンダリ―のチャールズ・ローベンもそういう風に言うんだ、さすがゴジラだなって思いました。それでレジェンダリ―がゴジラを製作するようになって、彼は諦めていなかった!と納得した。今回の実際のプロデューサーはトーマス・タルみたいだけどね。レジェンダリーの監督がギャレス・エドワーズって監督だって聞いて「モンスターズ」を渋谷に観に行った。あの映画は素晴らしかった! 低予算を全く感じさせないロケーション・センスの良さが際立っていて、映像的にもサスペンスタッチが魅力的で痺れた。これは良い!楽しみだと思いました。レジェンダリ―でギャレスがやるゴジラなら間違いはないと思います。で、凄く楽しみにしている中で予告編を観て、やってくれる!っていう感じ。最強のアメリカ兵が行くぞ!って始まって、その彼らが茫然とする表情に繋がっていく。一体何が起きたのか、そこに何がいるのか? 空挺団が飛び降りながら赤い信号灯を点けながら降りていくじゃない。
――まさにこちらですね(ポスターを指さし…)
富山 そうそう。カットでカメラを引くと雲間の先の遠くのビル群の中に赤い煙がすぅっと降りて行く。あれ!素晴らしいよね!参った。最高に期待してます!
――その上で日本版は?という事なのですが、富山さんの場合は作ってみたいという事になるかもしれないですけど、次のゴジラ映画として見てみたい内容は?
富山 個人的なお楽しみイメージとして。「VSデストロイア」をやる時に色々な企画を立てていて、その内の1つにゴーストゴジラというのを考えた。それは1954年に東京湾沖で死んだゴジラが幽霊となって再上陸してくるって話。最初の夜は足音だけが聞こえる。次の夜は足跡が残っている。そしてその次の夜はぼんやりと何かが見えてくる。一晩ごとにだんだん実体化してくるって事なんだ。こいつが現代のゴジラと戦うって話にしたらどうだっていうのを考えた。初代ゴジラと今のゴジラが戦う、新旧ゴジラの共演。残念ながらあまり賛同を得られませんでした(笑)。それでゴーストゴジラがダメならオキシジェン・デストロイヤーにしようって方向転換した。霧の中から浮かび上がってくるホラータッチのゴジラって面白いんじゃないかって今でも思っている。それと、質問されて思いついたのが一つ。「エイリアンVSプレデター」では、プレデター一族の成人の通過儀礼としてエイリアンを倒すという設定だけど、それがゴジラに替わったらすごい事になるんじゃないかな。プレデターが地球にゴジラを狩りに来るわけ。それは通過儀礼なんてものじゃなくて、もっと重大な事、それこそ次の王を決める!とかのためにね。「ゴジラ対プレデター」はイケるんじゃない? って自分が観たい映画ってことだね。あと、純粋にジュブナイル、少年物のSFとしてのゴジラ映画。地底旅行や宇宙戦争に通じるSFタッチの素朴なマインドの冒険モノをジュブナイルとしてゴジラでやる。というのは、これからのゴジラを観てもらいたい子どもたちに向けて作るのが良いと思うので。単純に子供と友達になっちゃうとかそういう事じゃなくてね。世界観と肌触りのしっかりした少年冒険ゴジラ。面白いんじゃないかなっていう気がする。
――ジュブナイル物は、どの層の子供たちに、どういう内容で見せるかという、すごく覚悟を決めて作ってくべき企画ですね。
富山 そう。今日観た「楽隊のうさぎ」という映画は、中学校の1年生が入学して環境が変わった中で吹奏楽部に入って成長していく話なんだけど、やっぱり中学校1年生って良いね。小学校で一番上だったのが一番下になっちゃうし、知らない人がたくさんいるし、親も勉強とか言い始めるだろうし。女子もちょっと眩しくなるしね。色んな意味で、小さな世界にそのままいたいと思っている内気な男の子が、そのままではいられなくなって広い世界に出て行くっていう、そういう始まりなんだな、中学校1年生って。それとゴジラの登場がどう繋がるかっていう話は面白いんじゃないかな。レジェンダリーゴジラが当たって、レジェンダリー版がシリーズでやるとなったら製作期間は開くだろうから、その間にやれたらいいなあ。僕も外側から突っついていこうと思う。
――今回のテーマとして、「俺とゴジラ」について一言で表現をしていただくのですが、それを最後に聞いて結びにしたいと思います。
富山
「俺とゴジラ」という言葉から連想される事。僕自身はやっぱり一番最初に観たのが小学校4年生で「キングコング対ゴジラ」だったので、子供の頃からの思い出として繋がっているので「俺とゴジラ」じゃなくて、カタカナの「ボクとゴジラ」だな。
「ボクとゴジラ」とは?
「目を開けて見る悪夢、そして夢」
――本日は、ありがとうございました。